勉強する上で覚悟すること

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勉強すれば良いという物ではない

勉強はやらないよりはやった方がいい、大体の人はそう思っているのではないだろうか。

学生は別だが、確実にやらない方がいい人がいる。

主には以下の2通りである。才能とかそういう問題ではない。
①家庭や趣味が大事で仕事はそこそこで良いという人
②仕事に満足していて、仕事の内容を変えたくない人

人それぞれ望むものは違うだろうから生き方も色々あって良い。勉強しなくても幸福な人生を歩むことは十分可能だ。

人生の時間は短い。ローマの哲学者であるセネカは「様々な物事を行うには人生は短い。しかし、自分が本当にやりたいことだけに絞ったならば人生には余りある時間がある。」と言っている。

スマホもテレビも無い時代の人々に時間を色々な事に使いすぎと言っているのだ。現代社会に生きる我々は一層、時間の遣い方を考える必要がある。

勉強以外に大事なものがあるなら、そちらを優先するのは時間の遣い方として王道である。

しかし、「仕事はそこそこで良いと割り切ってない人」「現状の仕事に満足していない人」であるならば必ず心に「満足できない何か」を抱えていることになる。私もそうだ。

勉強を積み重ねていくには努力が必要である。努力すれば見返りが欲しくなるし、身につけた知識、技術を仕事に生かしたくなる。

仕事や技術による自己実現をより強く意識するようになるだろう。

そういうのができる職場・ポジションであれば良いが、そうで無ければ現実とのギャップに苦しむことになる。

妙なものを勉強すれば鬱憤は益々貯まるだろう。

それでも私は勉強する

上記のことを踏まえると「勉強しない方が良いんじゃないか?」と思われるかもしれない。

だが、それでも私は勉強する。今は、理想と現実のギャップを感じている。

勉強しても、結局はギャップは埋まらないのかもしれない。その可能性もある。

正直、もう止めてしまいたいときもあった。そんな時にハッとさせられた言葉があった。

「満足な豚より不満足な人間でいたい。満足な愚者より不満足なソクラテスでいたい。」(J.S.ミル  1806~1873年 英 哲学者)

勉強していない人を「豚」と馬鹿にするつもりはない。

馬鹿にするのは、本当は違うと思っているのに何もしようとしてこなかった自分だ。

現状に不満があったとしても、それを見ないふりをして仕事をしていればお給料は貰えるし、周囲からは重宝される。

勿論、全てが自分の思い通りになるはずは無い。折り合いをつける事が必要な部分もある。

ただ、私は自分の技術レベルを上げることで、他の人には真似できないようなSW、製品を作れるようになりたい、そういう想いがあった。

決して、心に折り合いをつけるスキルを磨くためにSW業界に入ったわけではない。

肥えた状態から飢えた状態になる覚悟持たなければいけない。

日々、現状に不満を持つことになる覚悟を持たなければいけない

だが不満とは、人の進歩にとって欠かせないものである。

現状をなんとかしたいという想いがあったからこそ、数々の発明、研究による発見、社会制度の発展があったわけだ。

不満は解消できないかもしれないが、やれることは精一杯やりたい。

そういう訳で、少しではあるが私の学習記録、資格についても書かせて頂いている。

お読みいただければ幸いである。

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