「孟母三遷」って?
「孟母三遷」とは、中国の思想家である孟子にまつわる故事成語です。意味は”子供の教育には、よい環境を選ぶことが大事”ということです。
なぜ、「孟母三遷」と言われるかというと、以下のような話に由来します。
子供の頃、孟子が住んでいたのが葬儀屋の近くであったため、葬儀屋の真似事をして遊ぶようになりました。これを見た母親は、教育上の心配から引っ越しをしました。
次に住んだ場所は市場の近くであったため、孟子は商売の真似事をして遊ぶようになりました。
ここでも母親は教育上の心配をして、引っ越しをしました。
次に住んだ場所は学校の近くであり、孟子は授業の真似事をして遊ぶようになりました。
この場所を母親は気に入り、ここに落ち着くことになりました。
というのは、高校の漢文あたりで勉強された方も多いのではないでしょうか。
孟子は何回転職したの?
ところで、孟子の母親は良い環境を求めて引っ越しを繰り返しましたが、孟子は理想を求めて何度転職を繰り返したのでしょうか?気になったので少し調べてみました。
孟子について調べていると、「孟母三遷」や「孟母断機」等の故事成語は後世の創作という説がありましたが、好奇心の赴くままに調べました。
孟子については不明なことが多いですが、収集した情報をまとめると以下です。
最初の就職先
孟子の職業は「儒学者」です。儒者を平たくいうと「孔子」という人の教えをよく理解し、色んな人に広める人です。現在の職業で言うと国家公務員(官僚)のようなものです。儒教の教えを基に、王に政策についての助言、相談を行うことを仕事にしていました。
最初は色々な国を回って自分を売り込もうとしていたようです。現在の就活に似ていますね。
そして、どうも、「魏」という国で最初に就職したようです。
(魏よりも前に就職していた所があるかもしれませんが、記録は見つけられませんでした。)
一度目の転職
最初の転職は、魏の国王である恵王が死に、子供である襄王が即位したときです。
記録によると孟子はこのとき「之を望みたるに人君に似ず」と言っています。
平たく言うと、「(襄王は)王の器ではない」ということです。
今風に言うと、親族経営の会社で社長が死んで、息子が次の社長になったけど、折り合いがつかないから辞めました。ということです。
魏を見限った後、斉という国で働くことになりました。
二度目の転職
孟子はプライドの高い人物であったらしく、斉国にかなりの厚遇を要求しました。
普通、孟子のような職業では、王に呼び出しを受けて、質問・相談に応えるのですが、自分は家にいるから用事があれば王の方から来るようにという、要求をしました。
一応、この要求は通ったみたいです。すごいレベルの在宅勤務です。
ある時、王が病気になり、話したいことがあるからと、孟子を呼び出そうとしました。しかし、その時に孟子も病気のため外出は出来なかったため、呼び出しを断りました。
翌日には孟子は体調が良くなり、私用で外出します。
その時に、王が気を利かせて派遣した医者たちが家に来てしまい、「孟子元気じゃん!なんで来ないの!?」と問題になってしまいます。
ここから王と孟子の関係がこじれはじめ、結局辞めます。
その後は、各地に自分を売り込みに出ますが、落ち着くことはなく、晩年は後進の指導をしていたようです。
結局転職は何回したの?
はっきりとは言えませんが、2回以上、です。
孟子の思想自体は、「性善説」「王道政治」というように非常に明確になっています。
今風に言うと、仕事でやりたいことは明確になっている状態です。
孟子は歴史に名を残す程の人物です。優れた能力を持っているのは間違いありません。
ですが、能力の高さに対する自負が強く、自分を重用してくれる所を求めすぎたのではないか、と思わされます。
辞めた理由が人間関係というのも考えさせられます。
孟子に関する故事成語として「孟母断機」があります。為すべきことは最後までやりなさい、と言う意味です。
孟子は待遇を気にするあまり、国に雇われはしても彼の思想で国家を変える、という仕事を完遂できませんでした。その点からみると、孟子こそ「孟母断機」を心がけるべきだったのかもしれません。
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