「愛想が良い」とは社会人にとってはマナーの1つみたいなものです。
愛想を良くしていれば、周りからは良く思って貰えるかもしれませんが、当人としては「ナンカコレジャナイ感」を持つこともあるでしょう。
立場に物を言わせて無愛想に振舞える人もいますが、印象は良くありません。そうなりたいか?と聞かれても、なりたいと思う人は少数派ではないでしょうか。
本書に興味を持ったのは、タイトル「無愛想のススメ 人間関係が劇的に改善する唯一の方法」を見てです。
まるで、愛想や遠慮など無くても、人間関係を上手く行かせる方法が書いてあるかの様なタイトルだったので、読んでみる事にしました。
本書で言う「無愛想」とは?
本書で言う「無愛想になる」とは
普通、「無愛想」というと、冷たい人を思い浮かべます。
本書で言う「無愛想」は普通のニュアンスとは少し異なり、「他人がどう思うかではなく、自分がどうしたいかを大事にする生き様」の事です。
自分のやりたい事をやろうとすると、周囲の人で何か難癖をつけてくる人もいるかもしれませんが、そもそも万人に好かれるのは無理な話です。
だったら、嫌われるべき相手にはさっさと嫌われてしまおうというのが、無愛想の考えの1つです。
アドラー心理学的な考え
2014~2018年の複数年に渡り、年間ベストセラーのトップ10入りした本に「嫌われる勇気」というのがあります。
「嫌われる勇気」はアドラー心理学について解説する本で、ざっくりと主張を抜粋すると以下です。
- 自分の人生の評価を他人に委ねるのはやめよう
- 自分の人生を幸福にするのは自分自身であると認識し、自分の人生に責任を持とう
「無愛想のススメ」で言う「人がどう思うかではなく、自分がどうしたいかを大事にする」というのは、まさにアドラー心理学的な考えです。
おそらく、著者の池田潤氏も影響を受けたのだろうと推測します。
「嫌われる勇気」を読んだなら、「無愛想のススメ」は読まなくても良いかとも思ったのですが、人間関係に関する悩みは簡単には無くなる物ではありませんし、少しでも足しになる点があれば良いかと思い一読しました。
どんな人に「無愛想」を勧めているか?
以下、本書からの引用です。
私はこれまで1万人以上の悩み相談に乗ってきた。その経験の中でハッキリと言えることがある。それは、悩んでいる人のほとんどが「愛想の良い人」だったということだ。
周囲に気を使って愛想を良くしていればストレスが溜まるのも道理です。
本書は「本当はそこまで愛想を良くしたい訳ではないけれど、かと言ってどうしたら良いかよく分からない」という方に向けて書かれた本です。
ただのイヤなヤツではない「無愛想」になるトレーニング
無愛想になるトレーニングを行う理由
無愛想になれ!と言っても、ただただ愛想の悪い人間とは、単なるイヤなヤツです。
本書で言う無愛想になる目的は以下の事です。
無愛想トレーニングが最終的に目指すのは、自分への愛を取り戻すことで、他人への愛を自然に持てるようになること。
自分を大切にし、自身が満たされているからこそ、自然と他者にも愛情をもって接する事ができる様になるという理屈です。
「愛想」という上っ面な接し方をやめるという意味で、「無愛想」という言葉を使っているのですね!
無愛想になるトレーニング
無愛想になるために、具体的にどうしていくか、といった点も本書で書かれています。
全部で7日間のトレーニングとして、以下が挙げられています。(細かい内容は本書でご確認下さい。)
- 自分の本音を認識する
- 自分の本音と違う事は断る
- 過去の経験について、自分は本当はどうしたかったかを知る
- 否定的な言葉を掛けられたときに、ネガティブな思考にならない様にする
- 人と比べず、自分の現状を受け入れる
- 主体的に動く
- 他人を理解し、勇気づける
本書を読んだだけでは、おそらく「無愛想」にはなる事はできないでしょう。
アドラー心理学では、理解し、生き方を変えられるようになるには、今まで生きて来た期間の半分はかかると言われています。(例.40歳の人なら、完全に変わるなら20年かかるという事です。)
「無愛想」も、アドラー心理学に近い考えであるため、7日間だと厳しいです。
日々、過去を振り返り、自分の本音に耳を傾ける、といったトレーニングを行うことで、「無愛想」に近づいていけると考えます。
おわりに
大事な事なので本書で書かれている「無愛想」について繰り返します。
- 無愛想とは単なるイヤなヤツになる事ではない
- 無愛想とは「自分がどうしたいか」を大事にする事
- 上っ面の「愛想」で人に接するのをやめ、心からの愛情を持って接するのが「無愛想」
ご参考になりましたら幸いです。
以上
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